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ピアニスト水上裕子 エッセイ

介護日記・・・その1

母が亡くなったのが平成17年だから・・・・父の介護を引き継いでからもう3年以上になる。

母は自宅で看てたので、それはそれは壮絶な毎日だった。夜もおちおち寝れなくて、とうとう自分が先に逝ってしまった。

母と同じ苦労を味わわないと母に申し訳ないと、家での介護を試みたが

 「お父さん、ごめんなさい!これじゃ私が先に死んじゃうよ。
  私、今死ぬわけいかないから悪いけど病院入って」

と介護病棟に入ってもらった。

幸い、父は家と病院の区別がぼんやりとしかわからない。

なぁ~んだ、病院で看てんのね・・・・なんて言わないでね。毎日の病院通いだって本当に大変なんだから!

この間、娘に黙って彼女のイッチョウラの”セシルマクビー”を着て病院に行き、よそのおじいちゃん、おばあちゃんたちに愛想ふりまきながら父にご飯を食べさせてたら、(私に集中力が足りなかったせいか)父が食べるリズムを崩した。

あっ!ヤバイ・・・来るぞ!…・・・来るかも・・・・・・来たあぁぁぁ!!!

ハァックショ~ん!!!!!

しかも連続?回、あわててティッシュをつかみ父の口を押さえる。
口を押さえられた父の唾液、その他諸々は出口がないので鼻へと移動。

一瞬にして娘のセシルマクビー、いや私は頭から指の先まで父が、口と鼻からお戻しになった食べ物で彩られた。
もちろん、娘には内緒だ。

しかし、いつも汚いことばかりでもない。赤ちゃんが食べるように小さく食べ物をくだいて、またパンなどは手でちぎって父の口に入れてあげるとき、父のひげや口が私の手に触れる。
そんな時、命のいとおしさ、命のともし火の温かさを感じてうれしくて泣きたくなる。

お父さん、生きててくれてありがとうね。闘病生活だから世間でいう面白おかしい生活とはほど遠いけど、がんばって私たちを守ってくれてるんだよね。
そんな思いがこみ上げる。

娘が一緒に来てくれるときは3人で父の体をさすって、3人で父を抱きしめる。
病気でも貧乏でも私たち幸せだよね~!!!

Hiroko

ピアニスト水上裕子 エッセイ

介護日記・・・その2

父にはずっと会いたい人がいた。なぜか母でもなく、親兄弟でもないようで、
「遠賀の柴田さんに会いたい」をくり返す。

幼なじみなのだそうだ。時には思いが募って、涙を流す。
その思いは叶えてあげたいのだが、なにしろ父もまもなく81歳。
柴田さんも同じくらいだとしたらご存命かどうかもわからない。

もちろん、お元気でいらっしゃることを心から願っているが、「遠賀の柴田さん」だけでは私にはどうすることもできない。

そんな時、”シバタさん”というお名前の方が同じ介護病棟に入所された。

願ったりかなったりだ!

「まあ!!シバタさんじゃないですか!!!」 私は叫んだ。
(もちろんシバタさんに違いない。)

「やあ、やあ!」陽気でとっても心の広そうなシバタさんは私の大声に返事をしてくれる。

「お父さん、お父さん、シバタさんよ!お友達でしょ!シバタさんに会えたのよ!」

「えっ?柴田くん?」

「そうよ、そうよ!」

シバタさんが車椅子で近づいて来られた!

「柴田くん・・・」父はそう言いながら(なんか、ヒロコにだまされてるんちゃうか)

一瞬そんな目をした。

(何言ってるの、お父さん、シバタさんなんだから・・・おんなじ名前なんだから・・・そう思うのよ・・・それが人生楽しく生きるコツ!)
私は目力で、父を制した。

「柴田君!」
「やあ、やあ!」

かくして二人は感動的な”再会”?を果たしたのでした。


Hiroko

ピアニスト水上裕子 エッセイ

YES! WE CAN!!!

世界から人種差別から失くなる日が確実に近づいて来た!

嬉しいことにオバマ大統領の出身地シカゴで平和コンサート開くため招待されました!

私の思い、祈りをこめ最高のコンサートにします。

おみやげ話待っててね!

11月18日より~

ピアニスト水上裕子 エッセイ

娘の進学

中3の娘の進路調査票を出さなくてはいけない時期がとうとうやってきた。

この子は大の勉強嫌い。

こんな勉強嫌いの娘のために、私立高校でエンジョイさせるために、絶対お金なんて出すものか!

一番娘が苦労するところにブチこんでやる!

そう思って、いろいろ探した。娘をブチこめる場所を・・・

そんな時、1本の電話。

お世話になってるバレエの先生からだ。

「サラちゃん、中国に留学させませんか?」

「えっ?中国?」

(オーストラリアやロシアやルーマニアは視野に入れてたけど、娘が親元から離れてエンジョイするのが目に見えるので躊躇していた)

「そうだ!中国だ!そこだったら苦労するに違いない」

「ええ、中国のレッスンはかなりハードですよ。近年ますますレベルは上がってきてるし。あの子は1度、どこかにブチこまないとダメでしょう」

先生もお解かりだったとは・・・・・・

「ママ、お願いします!中国だけはイヤよ。サラがどうなってもいいの?」

娘は懇願したが、耳は貸さない。

しかし、いろんな方に相談すると意外にも、やめた方がいいという意見が多かった。

「Hirokoさん、女の子なんだから何も谷底に突き落とさなくたって・・・かわいそうだよ」

そういわれると・・・そうなのかなあ・・・・鬼の心が揺らぐ。

どうしよう・・・何かあったら・・・  さすがの娘でも、耐えられないことが・・・  やっぱりやめようか・・・

寝ている娘の顔をそっと覗く。

と、突然、大きな声で寝言を言い始めた!

「お願いします!お願いします!」(娘は泣き叫んでいる!)

どうしよう・・・こんなに追い詰められてたなんて!ゴメンネ!サラちゃん!

「お願いします!・・・・・椎茸だけは入れないで!」

へっ?しいたけ?

結局娘の一番怖いものは、しょせん椎茸だった・・・

娘は中国へ行かせることにした。

ピアニスト水上裕子 エッセイ

「カエルを食べた日」

地元でのコンサートの帰り、友人のミチヨチャンが

「ヒロコさん、今日はカエルのから揚げを食べに行きましょう。」

と、エスニックレストランに行くことを提案。

「いいね、いいね!」と、二つ返事の私。

どんな物でも食べて、世界を生き抜いてきたサバイバルピアニストのように1部の人から思われているが私だって人間、食べれないものもある。

中国は蜜山でのコンサートの後、お食事会が催された。

まず、テーブルの中央に置かれたのはニワトリの蒸し焼き。

ニワトリの口には、1輪の花がくわえさせられてあった。

主催者がそっと、ニワトリの乗った皿を動かし私の方にニワトリの顔を向ける。

そして大きな声でこう言った「本日の功労者はヒロコさん、あなたですから」

ニワトリは苦悶を通り越し、あの世へ行って下界を見おろしているかのような表情で淡々と花をくわえていた。

笑顔でお辞儀をしたものの、すでに腰が抜けそうな私はこうかわした。

「いいえ!今日の真の功労者は、この演奏会を主催してくださった陳先生、あなたです!」


その間わずか、20秒たらず。息が止まった・・・・・。
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「オーストラリアで本場広東の飲茶ランチをした時のこと」


あまりの美味しさに次々とワゴンから、意地きたなく料理を取りテーブルにのせていった。

あの、べっ甲色のつやつやとしたから揚げの甘煮は何かしら?

ウエイトレスはゆっくりと回っているというのに、手をササッと伸ばし、そのセイロをとりあげテーブルにのせた。

箸で、そのべっ甲色のつやつやを掴んだ時、本当に腰が抜けイスから落ちそうになった。

それは、ニワトリの足だった。

何もこんなものまで食べる必要ないじゃない!・・・涙が出た。

すると次の瞬間、そのセイロに手を伸ばし、ニワトリの足をしゃぶってる人物を見て仰天した。

母だった。

「疎開先では、これが最高のおやつだったよね。ね、お父さん」

こともあろうに、また次の瞬間、

「そうだなあ」そう言いながら父もニワトリの足をしゃぶり始めたのであった。

ねえ!みんな!もっと痛々しくないものたべようよ!ゴマ団子とか、大根餅とかさあ!ライチもあるよ!

涙で訴えたにも関わらず戦時中の疎開話で盛り上がっている。

足を食べる両親を見て私はただ震えあがるだけであった。

ピアニスト水上裕子 エッセイ

「お別れの言葉」

ちょっとものものしいタイトルにびっくりされました?

昨日、私のファンの方が亡くなられ、葬儀に私の曲を流すので式に出席できないかとファックスが入っていた。

お名前を見てもすぐに思い出すことは出来なかった。なにしろ6年前に会場でお会いしたきりなのだ。

しかし、いったん思い出すと次から次へと記憶が甦る・・・

演奏が終わり、満面の笑みで「素晴らしかった!」と喜びを体いっぱいに表して握手を求めて来られたこと・・・

その後頂いた心あたたまるお手紙・・・

私にとっては6年前の出会いでも、その方は6年間ずっと私を応援し続けてくださったのだと思うと、有り難くて有り難くていてもたってもいられなくなった。

私にできることを何かしたい・・・そう思い、葬儀で弔辞をのべさせて頂きたいと申し出た。

遺影に向かって、お名前を呼びかけると、6年前のはじける笑顔が明るい光の中でよみがえり涙が止まらなくなった。

心は永遠、だから、またお会いしましょう。またピアノを聴いてください。そう誓った。

ピアニスト水上裕子 エッセイ

通訳の曹さん。

北京でずっと私に同行してくれた通訳の曹さん。

とっても可愛らしく、それにかなりの天然で段々、本当の妹のような気がしてきた。

年令から言えば娘と言ってもいいのだけど、妹ということにさせてもらった。

日本語も時々、変だけどそこがまた可愛らしい。

私が京劇が見たいと言えば、すぐに手配してくれ、

バレエ用品が欲しいと言えば1日中街中を歩き回り探してくれる。

“おみやげ”といえば何軒もスーパーを回り、

「曹さん、もういいよ」というまで私にいろんなものを見せてくれる。

私のセキが止まらず、病院に連れて行ってくれた時はおもしろい経験をした。

せきどめのシロップをもらうくらいのつもりだったが事態は深刻になっていた。

曹さんが「Hirokoさん、今からあなたの血を吸います」と言う。

私は例のごとく「曹さん、もういいよ」

「血液検査でしょう?そこまでしなくても・・・」

「医師はあなたの血を吸うと言っていますよ。そうしなければ薬は出せないと言っています」

「もう、やだなあ・・・血を吸うなんて・・・」しぶしぶ検査室まで行く。

「で、どこから吸うの?」

「指からです」

「やだよ、そんなの!こわいよ」

明日はコンサートなので指から血を吸われるとピアノが弾けなくなる、

と、言ってもらい検査室から逃げた。

「次は Hiroko さんの体の写真を写します」と、曹さん。

「それってレントゲンのこと?もういいよ、曹さん、」

しかしそれからは逃げられなかった。

私は体の写真を撮られた。

曹さんは通訳するため私とレントゲン室まで入ってきて、

ふたりともなんのカバーもつけず10まい以上の肺のレントゲン写真をとられたのだった。

結局、検査結果は異常なし。

曹さんから「重大ではありませんでした」と告げられ、やっと薬がもらえた。

しかし、その薬の強烈きわまりなかった!

胡桃のような茶色の大玉を口にくわえ、

口から消えてなくなるまで噛むのだが、

まさしくそれは爆弾だった。それは形容できないほど苦く、

いくら息を止めても、この変な味は我慢などできない。

まさに地獄の責め苦。

こんなもの食べれるわけない・・・シロップがあるからいいや。

シロップを飲んだ。

「ぎゃーっ!!!」

何、これ!?耐えられずに吐き出した。

これって掃除か何かで使う薬品じゃないの~!

中国の薬は凄かった。結局、病院での努力は全てむだに終わり

薬はおみやげとして持って帰ることにした。

ピアニスト水上裕子 エッセイ

仁川空港の楽しみ方

さあ、久々の日本脱出。中国へ向かう。

今回はソウル経由になった。単なるソウル経由と違う。

ソウルで「7時間待つ」ソウル経由である。


仁川空港はけっこう広い。買い物で時間がつぶせるぞ・・・

と思ったのもつかの間、

デューティーフリーは、私にとって

あまり面白いものではないと、すぐに気がつく。

いつもトランジットのとき、バタバタ買い物をするので

デューティーフリーをゆっくり見て回ることに

憧れていたのだが、今回は時間がありすぎた。

お店はたくさんあるものの似たようなものばかり。

そもそもブランドものの魅力なんてさっぱりわからない私。

あんな高いお金をはらわなくったって、何十分の一の値段でもっと

個性的なものを見つけてくる自信はある、などとぼやきながら歩く。

さっさと歩くと時間が潰せないのでそろりそろりと歩く。

30分経過。 [ そうだ、ごはんでも食べよぉっと ]

韓国料理の店を探す。辛そうなのがあった。

韓国の方は皆さんピョンヤン冷麺を召し上がってるようだ。

美味しそうだけど、せっかく本場なんだもん、もっと辛そうなのを食べなきゃね。

とびっきり赤く、辛そうな料理を注文。

韓国の方は親切に注文の仕方を教えてくれた。

10分ほどたって、「来た来た、私の赤いスープ」・・・ところが、

「ひぇっ、・・・赤すぎる!」

写真はもうちょっと、やさしい赤だったよ・・・・・

スプーンを持つ手が震える(素直に冷麺食べてりゃよかった)

勇気をふりしぼり、ひとくち口にはこぶ。

「ひぬ~」(死ぬが言えない)

もう付け合せのたまねぎの炒め物しか食べれない。

日本では“激辛好き”と豪語する私も本場の赤を前に、

この姿は恥ずかしく、穴があったら入りたいほどであった。

撃沈間近と思われたその時、「ここ空いてます?」

日本人男性が同席。ひとくち食べては咳き込む私を見て、その方、松下さんは

「あまり無理されないほうが・・・」と憐れんでくださる。

しかし、残り時間はまだ6時間半もあり席は立てない。

松下さんがおっしゃるには、この店はソウル市内の有名店で、

空港内でも1番おいしいのだとか。

(そうだろう、店の混み具合がそれを物語っている。)

それを聞いて飛び上がりたいほどうれしいのだが、

カプサイシンの猛攻撃でもはや味はわからない。

「よかったらこれどうぞ。時間がつぶせるかもしれません」

松下さんは、ご自分の食事が終えられると、

「仁川空港の楽しみ方」というガイドブックをくださり席を立った。

クラシックが大好きで、療養中だという

お父様にCDをお送りすることを約束してお別れした。

突然私の舌がマヒしてきた!

そして、何と一気にスープをのみほしてしまったのだ。

しかも1滴残さず・・・・。松下さんも予想できなかった展開だと思う。

その後ガイドを見ながら、行ったり来たり・・・。残り時間4時間半。

家を出る前、「ママ、ママ」とむせび泣く娘に

「いい?なるべく電話はしないように。

自分のことは自分でする!しっかりやんなさい」

そう言って出て来た手前、電話はしたくなかったが、

“ひま”には勝てない。両替し公衆電話を探す。

私ってなんて意志の弱い人間・・・でも喜ぶだろうな、あの子たち・・・


「もしもし」

「だれ?」

「誰って、何よ。ママの声忘れたの」

忘れないけどさ、で何の用?」

・・・・・・・・・・・・・・・


その後も同じ場所を何度も歩きまわり、

私自身が、すでにガイドブックと化したのでした。

ピアニスト水上裕子 エッセイ

お昼をご馳走になった。

某化粧品会社社長のお宅に招かれお昼をご馳走になった。

奥様はイラン大使館と親交が深くていらっしゃるので、

イラン料理がお得意。その日のお昼もイラン料理だった。

私はエスニックが大好きなので、その香辛料の

匂いだけでノックアウトされてしまった。

サラダも肉料理も香辛料バンバンでとても美味しかったが、

びっくりしたのは、最後のパスタだった。

真っ黒にこげたパスタなのである。

部屋中に香ばしい匂いが、いや、こげくさい匂いが広がり、

思わず「なんで?」という顔をしてしまった。

日本では、料理の“こげ”は、ガンの原因とされているが、

イランでは、体に良いといわれているそうなのである。

そういえばルーマニアでも同じようなこと、言ってたっけ・・・。

何はともあれ、そのパスタのおいしかったこと!!

ことわっておくが、チーズをかけて香ばしくカリッとオーブンで

焼いたパスタとは一線を画す。

こちらは正真正銘のパリパリなのである。

パスタのパリパリせんべいといったところ。

それから我が家では、パスタは焦がすものとなった。

簡単に焦がすといっても大変難しく、なかなか焦げてくれない。

「なんで焦げてくれないのよ!」あせって鍋をひとつダメにしてしまった。

しかし、何度も回数をかさねるうち少しだけ焦がせるようになってきた。

娘たちにとっても、今ではパスタは焦げてて当たり前で、

焦げていないと機嫌が悪い。こげこげのパリパリを手で食べる。最高です!

ピアニスト水上裕子 エッセイ

合宿ダイエット

大学時代、友達と合宿してダイエットをした。

何ダイエットかって?

当時は、今のようなバラエティーに富んだダイエット方などなかったし、

体を動かすのはめんどうくさいと思うタイプなので、

ひたすら食べないダイエットだ。

そのため友達と合宿し、励ましあい、一緒に催眠術のテープを聴く。

努力のかいあって、体重は52キロから43キロに激減。

(良い子のみんなはマネしないでね)

リバウンドもなし。

その後オーストラリアで美味しいものを食べすぎ、少し太ったあと、

食料が不足しているロシアに行くことになりガリガリになった。

再びオーストラリアに戻り、長女を出産。初めてリバウンド。

その後、ルーマニアに住み貧乏暮らしのため、何もせずしてガリガリに。

次女を出産しても貧乏暮らしが続いたため太らない。

貧乏もいいもんだ。

しばらくドイツで暮らしたが、ドイツはダイエットに

とっておきの国であった。

まず、食べ物の執着がなくなる。

主婦の関心は食事ではなく、掃除だ。

時間があるとひたすら掃く。磨く。ゴミがでることが大嫌い。

キッチンを汚してまで美味しいものを作って食べるなんてあり得なーい。

食事は、だから簡素。夕方ぎりぎりまで子供と公園で遊んでも平気。

だって夕飯はパンとハムかチーズだけだもんね。

あー良かったなあ・・・ドイツの食生活!楽だし痩せるし・・・。

私の体重の増減は行く先々の国に左右されてきた。(貧乏にもね)

そして肝心の日本だが、ドイツから帰国した時は本当にびっくりした。

一体これだけたくさんの食べ物誰が食べるのって思う程、

スーパーには山盛りの色とりどりの食品!

しかし、悲しい事にその量にもたちまち慣れる。

テレビを賑わす新製品のお菓子のコマーシャル、お料理番組の多さ、

タレントがおいしそうに食べるグルメ番組は国内外に及ぶ。

ドイツが住の国なら日本は食の国のナンバーワンだ。

母国日本は私にとって、一番太る国だった。

しかも代謝はすっかり悪くなりダイエットももはや効果なく・・・・。