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ピアニスト水上裕子 エッセイ

3人のご婦人

さいたまで演奏後、3人のご婦人が涙を浮かべ

「子供を失くしました。”再会“は私の子のために演奏して下さってるようでした」

と言って来られた。

毎回、サイン会の時に数人のお母様が必ずそう言って私のところにいらっしゃる。

もう6年も前になる。

広島のあるご婦人が、息子さんを失くされた事を聞き、

そのお母様と息子さんのために曲を作った。

正確に言えば、作ったというより、空から聴こえてきた、と言うべきか・・・

そのメロディーは明るく澄んでいて、そして力強く空をうねっていった。

これは、お母さんの願いと祈りとそれから亡くなられた

息子さんの生命の息吹のような気がした。

私はこの曲を”再会“と命名した。必ずまた会える!

生命は天を翔け、うねり、決して1度きりで終わらないと、

聴こえてきたこのメロディーを弾きながら感じたからだ。

埼玉の3人のお母様のうちのおひとりは、

ドンキホーテ放火事件で犠牲になったセキグチマイコちゃんのお母様だった。

マイコちゃんは将来は人々のために尽くしたいと、

大学の福祉科に通う19歳の女の子だった。

私は毎回、全てのお母様の祈りを、

願いを大切に胸に抱きかかえ”再会“を弾く。

そして宇宙にあるお子さんの生命にかならず届くようにと

全てのエネルギーをふりそそぐ。

涙は、いつか笑顔に変わることを確信している。

ピアニスト水上裕子 エッセイ

博多座にやってくる!

舟木一夫が博多座にやってくる!

ワクワクしてるのは私の世代では私だけかしらん。

しかし団塊の世代の盛り上がり方は凄い。

パワーがあり、人数も多い(^0^)あの中には

入れてもらえそうもないが、タンタッカタタ~んタタタタタタンタンという

高校3年生のイントロを聴くと胸がキュウと締め付けられる。

俳優で好きだったのは、ダンゼン松原智恵子と川口恒!

あの二人が主演した「あいつと私」を思い出すだけで、うっとりする。

あの雨の中のラブシーン・・・もう一度見てみたいなあ。

ピアニスト水上裕子 エッセイ

宮崎と山口に行った。

年が明けて、宮崎と山口に行った。宮崎の皆様は、

まさしくあの気候のようにぽかぽかと暖かく人を包みこむ。

宮崎を去る時(ヨン様ではないが)皆様が家族のように思えてくる。

山口の方々は、福岡県人の持ち合わせていない、

真面目さ、勤勉さ、腰の浮いていない誠実さが伝わってきて、

ゆるみっぱなしの私の背中がピシッとしてくるところが大好きだ。

私は、右にボタ山、左に北九州の煙突を見ながら育った福岡県人だ。

子供の頃、母は私のことをいつも

「まったくウチの娘はケソケソのトンピンで困ってしまって・・・」

と人に紹介していた。

ケソケソもトンピンも意味は、音でご理解頂きたい。

ケソケソは落ち着きのない感じ・・トンピンはお調子者といったところかな。

父は「娘は相変わらず、そそっかしいチョロ松で困ります。」

とよく、人に言っていた。両親とも困ってるわけだが、

あえて福岡県人の反発を承知 で言わせてもらおう。

福岡県人は多かれ少なかれ「ケソケソのチョロ松だ」と私は思う。

長女はクラシックバレエを習っているが、人に乗せられればチュチュを脱ぎ、

お腹に絵でも描いて腹踊りでもしそうなほど、

トンピンでサービス精神が旺盛だ。

このサービス精神も福岡の特徴で、芸人を多く輩出している所以だと思う。

ケソケソケソケソするんじゃない!と、

何度もケソを重ねて大声で叱ってくれた母は今はいない。

療養中の父は、もう私のことを「チョロ松のねずみ」と呼ばなくなった。

なぜか「ヒロコチャン」と可愛く呼んでくれる。

ボタ山は風化し、煙突のけむりもほとんどなくなった。

だがあの時の、「三丁目の夕日」は、

一生私の背景として死んでも風化させたくない

ケソケソでトンピンでそそっかしいチョロ松のネズミは健在だよーん。

ピアニスト水上裕子 エッセイ

--パリの続編--

寒いパリを発ち、明日はルーマニアへ向かうという前日、

パリ在住のナカガワさんと女優の磯野洋子さんが訪ねてきて下さった。

磯野さんは、相変わらず小顔で、

髪をきゅっとひとつに束ねていらっしゃり、

高音の美しい声で、

「何をおみやげに持っていってあげようか迷ったのよぉ」

言いながら、

「でね、これ」・・・と、小瓶を渡してくださった。

「なんですか、これ」

「オイルよぉ。虫刺されに効くの」

「虫刺され?」

「そうよぉ・・・必要なぁい?」

「そうですねぇ、この寒いヨーロッパでは必要ないかも・・・

日本で使わせて頂きますね」

そう言いながら、その小瓶をスーツケースの奥にしまった。

翌朝、ブルーエアという、最高に安い航空会社の

チケットをとったために4時起きで支度し空港に向かった。

安いチケットのため、空港はシャルルドゴールでもなく、

オルリーでもないどこか遠い遠いところにあった。

次女が

「これだけタクシーに乗ってバスに乗ってたら、

いくら安いチケットでも意味ないじゃん。

結局同じ金額かかってるよ。こんなに早く起こされてさ」

と、本当の事を言ったので、頭にきて朝食を食べさせなかった。

「飛行機で朝ごはんが嫌というほど出るんだから、

我慢しなさい。機内食はカロリー高いんだし・・・

今食べると気持ち悪くなっちゃうよ」

しかし、チケットが安すぎたため、

朝食は待てども待てども出る様子はなく着陸寸前、

水が一杯でた。

「ママのうそつき」

という涙の混じった声は一応無視し、

着陸態勢にはいった。

ルーマニアも寒いに違いないと全く疑わなかった私達は、

靴下を重ね履きし、スカーフを首にぐるぐる巻いていた。

空腹のため朦朧としていた意識は、

着陸前の一杯の水のおかげで戻りその瞬間、

ぶっきらぼうな  アナウンスが耳にはいってきた。

「・・・・・・・・・・パートルゼチチンチ・・・・・・・・」

「・・・ねぇ・・・今さぁ、パートルゼチチンチって、ゆった?」

娘に訊いた。

「ゆった・・・」

娘、答える。

「パートルゼチチンチ・・・・45度・・・・・

ひぇー!!!ウソでしょう?」

何と現地の気温は45度だった。

田舎の家のベッドは、急に暑くなった気温のため、

ノミが出て、私と娘達は全身刺され、

体中真っ赤な点々に覆われやがてそれは、ふくれあがった。

かゆくて息も出来ず、磯野さんの小瓶を3人で奪い合ったのは

言うまでもない。

ピアニスト水上裕子 エッセイ

旅は枕に始まり枕に終わる

私にとって、旅は“枕に始まり枕に終わる”と言っても過言ではない。

なにしろ枕が変われば眠れないので、ホテルは大の苦手。

その上、コンサートの前後は音が耳の周りをぐるぐるまわり、

一分、一秒たりと眠る事ができない。

だが、まあそれは「お気の毒ですね」で、済む話。

三年前に、“良性頭位性めまい”というものを発症してからは、

笑い話ですまなくなった。

発症と言うほどの立派な病気ではないのだが、

やっかいなのである。

私は全国に「良性頭位性めまい」の会を作り、

思いっきり愚痴りたいと真剣に思っている。

これは、夜中に寝返りを打ったはずみに、

耳石が三半規管に入りこみ目まいを起こす、

というものであるので、原因がわかってからの私は、

ゆっくりそろりとベッドに入り、まず頭を固定する。

それから何と!朝まで 1 ミリも動かないで夜を過ごす。

夜明けが来たなら、苦しいので飛び起きる。

枕が合わないとつい、動いてしまうから、

枕のサイズは最も重要だ。

私の友人で、同じ病の、かゑるは

「私は一生、直立不動で過ごす」と言いきった。

だが、今は原因も病名もわかったから、まだいい。

三年前、初めて、起床時の風景が

モザイク状になった時、パニックをおこし、救急車を呼んだ。

救急車が家の前に止まる事ほど、気まずいものはない。

近所の方が道の両脇に並ぶ。

いや、近所でない方も並ぶ。その列は、我が家の門を通り、

玄関の中にまで続いた。

私が担架で運ばれている時、玄関で私の顔をのぞきこんだのは、

身も知らぬ方だった。

そして、お向かいのおばあちゃまが叫んだ。「意識はあるみたいよー!」

「おおぉー!」という、その他大勢の声が呼応する。

(もう、どうすりゃいいの)

「まもなく出棺です。チーン!」と、ばかりに皆様は、

私をお見送り下さり、救急車は家をあとにした。

ピアニスト水上裕子 エッセイ

地方の美味しい食べ物?

演奏旅行では、それぞれの地方の

美味しい食べ物がいただけていいですね。

と、言われるのは、し ょっ中だが、とんでもない話である。

勿論、楽しい 打ち上げの準備されたコンサートもあるが、

稀で ある。大体コンサートが終わり、

会場を出るのは 10時過ぎで、

レストランはラストオーダーを過ぎている。

コンビ二でおにぎりを買って帰るか、

それも見 あたらない様な場所では、

コンサート前に食べた お弁当の食べ残しを

持ち帰り空腹を満たす。だが そんなのはまだマシだ。

コンサート後、次の場所に 移動という場合もある。

熊本にプレゼンテーションに行った時、

某株式会社 のY社長に馬刺しをご馳走になり、

感激した私はス タッフにコンサート後は

馬刺しを奢ると豪語してしま った。

コンサート当日当然のことながら、

10時過ぎ に会場をあとにし、馬刺しに向け出発。

私の相方で 遊び人の二シキド氏が先頭車両で空いている店を探すも、

見当たらない。遊び人でもこの山の中では

本領は発揮できないか・・・しばらくして、

今回運転 手をつとめてくれたアッちゃんの携帯が鳴る。

「二シキド先生からです」(アッちゃんは彼の生徒なのだ)

「見つかった?」 「いいえ!ジョイフルならあるそうです」

ジョイフル・・・なぜ熊本でジョイフル・・・

(関東地区の皆さん、ジョイフルは関東のジョナサンいや、

サイゼリア。私はこのジョイフルに月4,5回は行く。

ど うしても食事の支度が出来ない時、

激安でなぜか 子供が大好きなジョイフルに

助けられているのだ。 でもなぜ、今日?もういい!

そんなんだったら、もう 帰ろう・・・

「あっそうだ!ラーメンは?熊本ラーメンだったらあ いてるかも!」

あった!ラーメンのネオンが見えた!

二シキド氏から電話、

「どうします?ここでいいです か?」

「オッケー!」

胸を高鳴らせ、車から降りた私達は、

次の瞬間、愕然とした。 “筑豊ラーメンの チェーン店、

山小屋”というサイン が神々しく光り輝ていたのだ。

まさしく私の地元のラ ーメン店IN熊本で、コンサートの

成功を祝ったので した。(^-^)

ピアニスト水上裕子 エッセイ

今年パリの初夏

今年パリの初夏は、寒かった。

空港に降り立った瞬間ゾッとした。

何しろ日本は既に猛暑だったので、私はノースリーブのワンピース、

娘たちはショートパンツにキャミといういでたち、

相対するフランス人はオーバーコートにマフラーを巻き、

ブーツをはいているのだ。

寒さを感じる前に、もろ肌を出している私達の恥ずかしさ

といったらなかった。

しかも、小雨が降出したのに、かさを持っていなかった。

凍え死ぬかと思った。

その日は寒さと疲労のため、とりあえずホテルで寝る。

(きっと明日は晴れるさ)

という私の楽観的予測は見事にはずれ、

次の日も寒く小雨。ブティックには夏物しか売って

おらず皮下脂肪のついていない長女にだけジーパンを買 ってあげた。

演奏会だけして帰るのなら問題なかったのだが

友人のコンサートに誘われたがためにに悲劇は始まった。

フランス郊外の教会で行われたそのコンサートは何故か

21時から始まり、石造りの教会の中の冷気により、

すでに私達のくちびるは紫色であった。

と、そこへ主催者が娘たちのところへ飛んできて

何やらフランス語でまくしたて 始めた。

コンサート終了後、ソリストに花束を渡す役を頼 まれているのだ。

何と二人は引き受けた!演目は、長く退 屈なハイドンのラ・セゾン。

最後まで帰れない・・・寒い・・・ ソリストの分厚い楽譜が少しずつめくられて

いくのが待ち どおしい・・・始まったとたん、こんなに終わりが待ちどおし

いコンサートは初めてだ。と、ガタガタと椅子が揺れ出した!

娘たちのけんかが始まったのだ。

一番恐れてた事態 がやってきた!

理由はどちらかのひじが、どちらかの手に さわったからという。

悲しすぎる理由と人々の視線と、厳寒の中のノースリーブ、

私は完全に凍りついた・・・

ピアニスト水上裕子 エッセイ

宮崎へ行った。

先日、来月の公演のプロモーションのため、宮崎へ行った。

空港に降り立った瞬間、「なんか明るい」・・・・・

2年前来た時と空気が、全然違っているのだ。

「えーっ!何で?」

タクシーの運転手、公演の主催者、ホテルのフロント 皆に声をかける。

「ミヤザキ・・・変わりましたね・・・」

「そりゃあそうですよ!」異口同音に、間髪入れずに返ってくる。

「やっぱり・・・知事・・・?」 「そうですとも!」 「そうかあ・・・」

「テレビを見てくださいよ、宮崎県知事の出てない日は、

今やほとんどない程ですからね。」

「そうそう、この間は、マラソンにも出てましたものね。

私も思わず応援しちゃいましたぁ」

「すっごい経済効果ですよぉ」 やはりそうだ・・・ 東国原知事の人気により、

宮崎はその実力を認知され、 自信と輝きをとり戻したのである。

・・・どの位変わったかって?

・・・ うーん・・・この青空、おいしいごはん、おいしい空気、

一瞬、ここに 住みたいって思ってしまった位、変わった!

(私も結構、宮崎の宣伝マンしてるよね)

帰りには、東国原マークの例の地鶏をどっさりお土産に買い、

調子に乗って 東国原人形と写真まで撮ったのでした。~^0^

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